クロッキー帳の中心に真っすぐ線を引き、左のスペースに好きなもの、右のスペースに嫌いなものを列記していく。好きな食べ物、色、音楽、芸能人の名前、地名、所作、映画の台詞、単語でも文章でも何でも良くって、一人でブレストしてるみたいに思いついたものを直感で左右に振り分けて書いていく。何も思いつかなければ目に付くものを片っ端からそれが好きか嫌いか判断して書いていけば良い。大切なのは必ず好きか嫌いかのどちらかに所属させなければならないということ。
他人の作ったものを見ていると一貫した強い意思というか(それを思想っていうんですかね)、制作を通して何を考えているかとか、どうしてもそれを作らなければならなかった背景なんかが見えてきて、それを目の当たりにすると、自分の一貫性の無さに後ろめたさ、罪悪感をとても強く感じるのだけれど、感じるだけではなく「二元構造的に真逆の思想と行動原理と趣味的な文物への印象と理解を持っている」と実際に指摘されたりもする。簡単に言うと「お前が一体何をしたいのか、俺には分からない」と。そこで負い目を感じる必要は無いし、実際それほど深刻には考えていないのだけれど、共通認識として皆が持っている何か重大なものが欠けてしまっているような気がして、多少なりとも劣等感があることは否定出来ない。大事な授業がある時に熱を出して学校を休んでしまった明くる日みたいな。樹木には根や幹があって枝葉があるけれど、その大事な幹や根が存在しないため、物事の関連性をうまく結びつけることが出来ず、物覚えが悪かったり、勘違いをして他人の話を聞いていないと思われたりするんじゃないだろうか。
ただ先に書いたようなやり方で頭に思いついた言葉を好きか嫌いかで判別していく作業を続けていくと、例え無意識であったとしてもそこにはやっぱり統一されたルールみたいなものが確かに存在していて、そのルールを元に振り分けを行っていることに気付く。「これだ」と目の前に差し出すことは難しいけれど何かしらのルールに従って取捨選択は自動的に行っている。って何でこんなことを書き始めたかというと、利用目的がよく分からなかったtumblrでウェブ上の画像をクリップしていたら、学生時代にやっていたこの好き嫌いの振り分け作業を思い出したから。
例の小説は振幅の大きい波が干渉しあって徐々に収束しはじめました。個人的には保坂和志氏の新作の方が待ち遠しい。『カンバセイション・ピース』の次にどんなのが出てくるのか。
昨夜はクライアントの社長に独立のお祝いをしてもらいました。恵比寿で水炊き。食事中に一昨年から続いているオサレ番長の仕事がそろそろ動き出すとの連絡。Max/MSPでサンプルパッチをいろいろ作ってみることに。


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